ミニ クロスオーバー ノーフォーク エディション
MINI Crossover Norfolk Edition

日本の販売台数が本家・英国を上回ることも

 1959年、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)から伝説的クルマがデビューした。MINI(クラシック)である。設計エンジニアは有名なアレック・イシゴニス。中東戦争の影響で高騰したガソリン価格対策の面もあったが、何から何まで画期的なモデルだった。
 モンテカルロラリーでの連覇など華々しい戦績を残したが、グローバルな販売は常に好調だったわけではない。ただ日本での人気はとくに高かった。1990年代には日本での販売台数が本国を上回ることもあったくらいだ。また、一時中断されていたミニ・クーパーの復活(1990年)も日本からの要求によるものだった。
 やがてBMWの傘下に入り2001年にはBMWから新生MINIが発売される。この時点ではその成否に疑問がなかったわけではない。不明なことに個人的にはあまり期待してはいなかった。が、日本ではよく売れた。

まずはクロスオーバーD ALL4のノーフォークで
 休むことなくモデルを増やしていった影響もあるが、2002年の日本導入年(3月2日=“みに“から)の販売台数は約1万台だったのに、昨年には2万6000台も売れた。実に157%も伸びたのだ。そのうちクラブマンやクロスオーバーといった追加モデルは1万1000台を占めた。“メデタシ、メデタシ”の中でMINIは60周年を迎えたのである。
 5月に予定されている60周年記念限定車の発売を始め、60周年にちなむイベントの開催や限定車の発売は多い。その先陣を切ったのが「ミニ クロスオーバー ノーフォーク エディション」だ。これは300台の限定車で、ベースとなるのはMINI Cooper D ALL4(2ℓディーゼルターボ 150ps 4WD)。ノーフォークというのは英国東部のカントリー名。サイドにベルトのついたノーフォーク ジャケットを思い浮かべる人も多いかもしれない。
 この限定車のテーマは“未知なる世界が待つ旅へ”。特徴はデザインだ。そのデザインを担当したのがファッションブランドF/CFの山根敏史氏である。氏の手になるデザインは、ボンネット左右非対称の太いストライプ(道を表す)、テールゲートとクオーターピラーの専用ネームバッジ(旅人を導くストリートサインを意匠化)などだ。
   専用装備としては、ブラックのルーフ&ミラーキャップ、18インチアロイホイール、LEDのヘッドランプ・セット、ピクニック・ベンチなどがある。ボディカラーはブリティッシュ・レーシング・グリーン?(少し明るめ)のほかに、ブラック、グレー、シルバー、ブルーが用意される。ノーフォーク エディションの価格は495万円(消費税込み)。また、100台の早期契約には専用のルーフボックスがプレゼントされる。
 山根氏を始め、MINI本部長ピーター・メダラ氏、営業部長の山口智之氏、さらにはクラシックミニのデザインにも携わる3人のクリエーターなど、ともかく登場人物の多い発表会だったが、ぼくが最も注目したのは山根氏とのトークショーやMCをつとめたアイリーン・ニッケイン氏だ。
 現在はシンガポール在住だそうだが、ともかく歯切れがいい。嫌味がない。英語が上手い(当たり前だ)。現代のデキル女性の代表のような人だった。MINIブランド/コミュニケーション/マーケティング・マネジャーなど肩書のやたら多い人だったが、MINIの好調さを支えているのはこういう才能とそれを見抜く経営陣なのかもしれない。
報告:神谷龍彦
写真:佐久間健 怒谷彰久 BMW

これまでのブリティッシュ・レーシング・グリーンよりも少し明るめの緑。ルーフの専用ボックスは早期契約者100台にプレゼントされる。装備などを考えればけっこうお買い得だと思う。

山根氏が手掛けたボンネットのストライプ。デザインが左右非対称なのは道を表しているから。

道路標識をイメージした専用バッジ。リアクオーター・ピラーとテールゲートに装着される。

ラゲッジフロアの下のピクニック・ベンチを引き出せば座れる。タイヤは18インチを標準装備。

アイリーン・ニッケイン・マーケティングマネージャー(右)とF/CFの山根敏史氏。

クラシックミニの写真なども数多く展示されていた。中央上がアレック・イシゴニス。


最終更新日:2019/03/04