「国家の品格」「女性の品格」「会社の品格」−−と、ベストセラー書は品格ばやりである。
車にも品格があると思う。渋滞する高速道路の路肩を突っ走っていくのは、某外車か某国産高級車とおよそ決まっている。偉そうなブランド・ロゴ見せびらかしの高級車や、グリルにやたら大きい光物を使ったミニバンや、恐ろしい形相のスポーツカーなどが後から迫ってくると、嫌な気分に襲われる人は少なくないのではと思う。品格とは周囲に敬愛の情を自然と抱かせる空気のようなものであって、他人に嫌悪感を与える国家や人や会社や車は、品格が低いのだ。
ユーザーにとって製品の選択肢が多いのは良いことだが、しかしそんな車が多ければ、殺伐とした今の世の中はますますギスギスする。街中を走っているのを見るだけでホッとする車、癒される車、思わず笑顔になってしまうような車をもっと世に出してもらえないだろうか。
車選びは結局、選ぶ人の人間性を投影する。したがって車は選んだ人そのものといっても良い。そしてRJCもまた、車を評価し選考する組織である。したがってわれわれが選ぶ車は、われわれ自身を投影している。車に品格を求めるなら、われわれ自身が高い品格を持たなければならないことは言うまでもない。粗野な言動、礼を欠く企業への対応、乱れた服装や馴れ馴れしい言葉遣いをすれば、選ぶ組織も選ばれる車もその品格が疑われる。車を評価することは、同時に自分自身を厳しく見つめることだ。
「評価者の品格」。このことをこれからも自分自身に戒めたいと思うのだが。
最終更新日:2010/04/16