「ぶつからない技術」で事故は減らせるか?

丸茂 喜高

 この問いに対する答えは「イエス」・・・ただし,ドライバの行動が変化しなければ.
 最近,テレビコマーシャルでもよく見かけるようになった「ぶつからない技術」だが,将来的にこの技術が全車両に搭載されると,追突事故はなくなるであろうか.当然,メーカの技術者は事故を未然に防ぐためにこのような技術を開発しているのであり,ディーラの販売員は付加価値としてそれを販売し,ユーザもそれに対価を払っているわけである.安全装置を導入すれば,その分,事故は低減してもよさそうであるが,実はそうでもないということが心理学の分野で指摘されている.

 カナダの心理学者であるジェラルド・J・S・ワイルドは,「リスクホメオスタシス理論」という説を用いて,ABSなどの安全装置の導入や,良かれと思って行った安全運転の訓練にともない,いかにドライバの運転行動が変化するかを指摘している.詳細については参考文献1か,または,やさしく書かれている参考文献2を参照されたい.詰まるところ,前者のように安全装置を導入すると,ドライバはその効用を最大限に活かそうと行動を変容させる.また,後者のように訓練により運転技量を向上させると,その技量を十分発揮すべく,同様に行動を変容させるのである.

 ワイルドの理論は,安全技術や運転教育そのものを否定するように捉えられがちだが,実際に彼が指摘しているのは,事故率(時間あたりの,地域全体の事故損失)の恒常性である.例えば,道路の改良によりA市からB市の所要時間が半分になったとする.同じ事故率であれば,事故リスクは当然半減するはずである.ただし,人間は短縮された時間を有効活用することもあり,場合によっては,浮いた時間でさらに同じ距離離れたC市まで移動し,結果として事故リスクは変わらないのである(ただし,個人で見ると生産性は2倍になっている).あるいは,A市B市間の交通量が2倍になったとすると,地域としての事故率は変わらない(ただし,1台あたりの事故率は半分である).

 身の回りの事故データを見てみると,事故発生件数や死傷者数の数字が増えたり減ったりというのは,普段のニュースでも目にすることがある.しかし,ワイルドの考えは,これらの数字の分母として,保有台数や走行キロ数を考慮する必要があり,交通安全白書などで実際に1万台当たりや1億キロ当たりの死傷者数を見てみると,ここ30年程ほとんど変化していない(微減程度)のである.

 背丈よりも高い壁の上を歩くのと,畳のヘリの上を歩くのとでは,どちらのリスクが高いであろうか.言うまでもなく前者であるが,現在の安全装置は,前者を後者のような状態にすることである.しかし,人間は畳のヘリの上であれば,壁の上を歩く場合ほど用心深くならないのは,ある意味当然である.これからの安全装置を開発する技術者が意識しなければいけないのは,実際には畳のヘリの上を歩くくらい安全になった状態であるにもかかわらず,壁の上を歩くくらい慎重になる,すなわちドライバが安全運転しようとする仕組みである.


<参考文献>
1.「交通事故はなぜなくならないかリスク行動の心理学」,ジェラルド・J・S・ワイルド(著),芳賀繁(訳),新曜社

2.「事故がなくならない理由(わけ):安全対策の落とし穴」,芳賀繁,PHP研究所


最終更新日:2013/08/13