スズキ歴史館へ行こう

宮本 喜一

 「スズキ歴史館」。失礼ながら、なんともそっけない名称だ。そっけないだけに、せいぜい“スズキの過去の製品を展示しているショールーム”という以上の想像をめぐらすのはちょっと無理だと思う。

 浜松駅から東海道線の下り電車に乗って最初の駅、高塚から東に歩いて7、8分、スズキ本社の南向かいに、その3階建ての建物がある。外観の印象も名称に負けず劣らずそっけないという表現があたっているかもしれない。

 というのも、スズキ歴史館とわかる外観の演出が見当たらないのだ。建物の裏側、つまり南側が東海道線の線路に接しているにもかかわらず、電車の乗客の目を惹きつけるような表示が見当たらない。スズキ本社との間の道路側、その玄関もまた、通行人を惹きつけるほどの目立った表示はない。「これが歴史館だ」と訪問者に教えてくれるのは、専用駐車場の看板だけのようだ。それではと、インターネットから“歴史館”の検索をして現れる公式ページを見てみると、これまた、そっけない。というのも、展示の内容について詳しい紹介がないのだ。この紹介ページで目立っているのは「見学の予約」という案内くらい。

 こうして見ると、スズキ歴史館という建物は、同社の本社を訪れる人たちが(お義理に?)訪れる、そんな想定のもとにつくられたショールームでしかないような気になってくる。名称、そして紹介ウェブページ、どちらにしても、食指が動かない。

 ところが、事実は全く違うのだ。歴史館に足を踏み入れた見学者は、見事に裏切られる。せいぜい1時間と思っていた事前の目論見はあっけなく崩壊し、3時間いても足りない、と思うほど、その魅力に圧倒される。

 確かに玄関に足を踏み入れた瞬間の印象は“そっけない”。左手奥に受付のカウンター、右には細長いスペースに現在のスズキの新車が並べられているだけだ。いわゆるショールームのような華やかな雰囲気とは無縁の空間だ。
しかし、玄関左脇から3階にまっすぐ伸びている階段にひとたび足をかければ、そこには濃密な空間が待っている。

 階段の左手壁面にスズキの歩みを示したディスプレイが続く。2008年から始まって階段を昇るにつれて過去に向かい、階段を上がりきった終わりの年代は1908年。つまり、階段はスズキの創立当時にまでさかのぼるプロセス=タイムスリップ=というわけだ。ここからがこの歴史館の本番だ。すべてを書き切れないので、ハイライトを2、3点紹介しよう。

<軽トラック・スズライトキャリイL20が酒屋さんの御用聞き>
 1965年ころ、日常の買い物は近所の店か御用聞きが中心だった。その物流を支えていたのが軽トラックだった。スズキは当時、アサヒビールと共同で御用聞き用の軽トラックを広告媒体として活用した。アサヒビール一色のキャリイが町中の路地という路地を走り回ったのだ。アサヒビールはこの歴史館のために、あのなつかしいアサヒビールの大瓶とそれを運ぶ木箱を“例外的に”提供したという。スズキは映画「三丁目の夕日」のスタッフに依頼して、このアサヒビール・キャリイが浜松の市内を走る映像を制作した。アサヒビール・キャリイの実物の後方にある大スクリーンにその映像が映し出され、当時の空気を感じる、という趣向だ。

<スズキフロンテがお隣の田中さんちにやって来た>
 1960年代、乗用車は家庭にとってステータスであり幸福な生活のシンボル的存在だった。軽自動車も例外ではない。ご近所の家に乗用車が来ようものなら、その家族とクルマに羨望の眼差しが注がれた、そんな時代だった。田中さんちに乗用車が来た。“うちのお父さんも買ってくれないかな・・・”と近所の子どもが田中さんちの庭にとめてあるフロンテ360(1967年、LC10実車)をブロック塀の隙間からながめる、という展示が目に入ったとたん、過去の記憶がよみがえってきた。表札の田中はどうして田中なのか。鈴木の次に多い名字は佐藤。しかし漢字の藤を小学生の低学年は習っていない。そこで次点の田中にした、というのがスズキ広報課長の解説。

<アルト47万円と比べてみよう>
 1979年に登場したアルトは、47万円という破格のプライスが消費者に大歓迎され、以来30年間で1000万台を世に送りだすヒット製品となった。その47万円がどれほどの衝撃であったのか、当時の乗用車はもちろんレコード、雑誌そして家庭用VTR(当時はまだテープ記録だった)やパソコンといった製品と比較すれば確かに容易に想像がつく。日常的な生活のなかで果たした(そして現在も果たしている)軽自動車の役割を改めて思い知らされる展示になっている。

<○○ランド顔負けの3D映像シアター>
 自動車の工場見学といえば、たいてい組立ラインの横を歩く、というのが定番コースだ。ところが、スズキは考えた。組立ラインだけではつまらない。プレスラインや塗装ラインのほうが、危険なために関係者以外立入禁止となっているからこそ、見学者にとって魅力があるのではないか。なんとかしてこれを見せよう。3D映画“アバター”が大ヒットするはるか1年以上前に、スズキはプレスと塗装のラインの3D映像を制作し、その専用上映シアターをつくった。3D用のメガネをかけ、座った椅子が大型プレス機の動作にあわせてずしんと響くのを感じると、実際の工場を見学した気にさせられてしまう。3D映像は、こうしたプレゼンテーション分野への応用も非常に有効なのだ・・・。シアターの椅子の数は37。この数字は静岡の小学校1クラスの定員数だという。

 スズキとはこんな自動車会社、というメッセージが小学生からかつて小学生だった人たちにまで確実に伝わる工夫が凝らされている。単なる歴史的製品の時系列的展示そして現在の製品のラインアップ展示で終わっていない。スズキという企業の開発してきた製品と社会との関わり、そしてまたスズキの製品が人々の生活をどのように豊かにしてきたのか、といったテーマが展示から理解できる。小生もかつてはある企業で製品のプロモーション、ショールームの運営の協力、また企業としての展示会の企画運営をした経験もあるが、そうした経験を踏まえて改めて考えると、スズキ歴史館のような展示展開はきわめて独創的だと思う。全く新しいショールーム・プレゼンテーションのあり様を教えられた。とりわけ、これからのユーザーである子どもたちの理解をどのように得るべきか、という工夫には頭が下がる。これだけ濃密な展示構成を実現するには、相当の時間と資金、そして関係者の熱意と智恵の結集が不可欠だ。簡単にこれほどの歴史館ができるはずはない。スズキのものづくり哲学、あるいは製品にかける情熱がごく自然に伝わってくる。

スズキ歴史館の “館内のご案内”は以下のURLにある
http://www.suzuki-rekishikan.jp/home/pdf/floorguide_j.pdf

 これは来訪者に配布されるリーフレットにあるイラストだ。
子ども向けのイラストのように思えるが、決して子どもだけの歴史館ではないので、念のため。スズキという企業に関心があるなら(関心がなくても)ぜひ、歴史館を訪問なさることをおすすめしたい。仕事としてひとりでも、あるいはプライベートに家族と一緒にでも結構。小生の場合には、○○ランドの何倍も楽しかったし、また得るところも多かった。
「いや、うちは中小企業だから、大した展示はできませんよ。でもね、まぁ、気楽にゆっくり見てやってくださいよ」と控えめに話ながら、会長の鈴木修氏がふらりと現れてきそうな、そんな穏やかな空気が流れている不思議な空間でもあった。

スズキ歴史館外観

アサヒビール・キャリイ

田中さんちのフロンテ

アルトと価格比較


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