三菱、富士重、日産がEVで先行する共通の背景

飯塚 昭三

 EV(電気自動車)はガソリンエンジン車よりも古いといわれ、1873年には実用的EVが作られたと記されている。自動車用動力として何が適切かを求めて、EV、蒸気エンジン車、ガソリンエンジン車などが覇を競った都市間レースの記録もある。しかし、豊富な石油を背景としたガソリンエンジン車の発達により、EVは実用性の高さの点でガソリン車に及ばなかった。それでも、石油の高騰や環境意識の高まりで、何度かEVが注目された時期はあり、今また環境・エネルギー問題からEVに注目が集まっている。
 
 一つ前のEV注目時代は、カリフォルニア州のいわゆるZEV規制に起因した1990年代後半のEV開発期である。これは大メーカーに対し「2003年以降カリフォルニア州でクルマを売るには10%をゼロエミッション車にすること」を定めたもので、それに合わせるため、日本ではトヨタ、日産、ホンダがこれに対応すべくEV開発に取り組んだ。しかし、この衝撃的なZEV規制はその後現実的でないとして骨が抜かれ、EV開発も一段落してしまった。
 
 このときに出したEVは、トヨタがRAV4 EV、日産がハイパーミニ、ホンダがEV PLUSであった。これら3車は旧来の直流モーターと鉛電池によるEVではなく、いずれも永久磁石式交流同期モーターと新しい電池を用いた。その電池はトヨタとホンダがニッケル水素、日産がリチウムイオンを選んだ。
 
 実はニッケル水素電池もリチウムイオン電池も1990年に相次いで実用化された(それも日本で!)電池である。今でこそリチウムイオン電池のほうがニッケル水素電池よりエネルギー密度、出力密度とも断然高いとされているが(ただし価格も高い)、その当時はどちらに将来性があるかは今ほどはっきりしていなかった。
 
 トヨタとホンダのEVは1997年、日産が1999年と若干の時期の違いがあるが、日産はリチウムイオン電池こそ次代を担うものとして着目、すでに地道に研究を重ねてきていた。したがってハイパーミニにリチウムイオン電池を使ったのは必然であった。リチウムイオン電池の研究開発はハイパーミニの後も当然続き、薄型のラミネートタイプの電池へと発展し、今年2010年秋のリーフの発売へとつながるのである。
 
 実は三菱自動車は規模が小さかったのでZEV規制の対象には入っていなかったのだが、当時からリチウムイオン電池とEVの研究開発を地道に行なっていた。そして、やはりニッケル水素を飛ばして当初からリチウムイオン電池の開発に注力していた。96年のアメリカでのシャリオハイブリッド実験車のリチウムイオン電池炎上事故をよき教訓にして、FTO、エクリプス、コルトなどで継続的にリチウムイオン電池によるEV開発を行なってきた。そして東京電力との共同実証テストを経て2009年秋にi-MiEVの発売となったわけである。
 
 富士重工業は三菱よりは遅いが2003年のモーターショーに出展したコンセプトカーがリチウムイオン電池搭載のR1eに発展する。R1eは東京電力と共同で実証テストを繰り返した後、その心臓部をステラに移植、プラグインステラとしてEVを継承、2009年の限定発売となった。電池は当初NECと合弁で「NECラミオンエナジー」を作って独自技術も投入して開発をすすめていた。ただしその後合弁は解消している。
 
 三菱、富士重工業、日産がEVの発売では他メーカーに先駆けることになったが、その背景として早くからリチウムイオン電池に取り組んできたことは見逃せない。それは単に電池単体の開発にとどまるものでなく、組み電池としての制御を含めた総合的な開発であり、その点でアドバンテージを持った結果の表れである、というのが私の見立てだ。

リチウムイオン電池を搭載した日産ハイパーミニ

ニッケル水素電池を搭載したトヨタRAV4 EV

やはりニッケル水素電池を選択したホンダEV PLUS


最終更新日:2010/2