日産ヘリテージコレクション見学

小早川隆治 神谷龍彦

クルマ文化の定着と拡大のためにもっと活用したい

小早川隆治

 9月26日、RJCの研究活動の一環として、メンバーによる日産の座間事業所内にある「日産ヘリテージコレクション」の見学会を実施した。この見学会は、日産アーカイブス有志のご協力を得て実現したもので、当日は清水栄一氏、志賀聡氏から大変有意義な解説もいただくことができた。参加者は23名、かなりな方にとって今回が初めての見学機会だったようだ。

 日産座間記念庫は、1954年、1台のクルマから始まったとのこと。それが1933年ダットサン12型フェートンだ。以来着々と収集を重ね、今では1930年代の各種ダットサンから、近代までの日産、プリンスのほとんど全ての生産車、更には歴代のレースカー、ラリーカーが、座間事業所の一部に所せましと並べられ、日産ヘリテージコレクションと呼ばれている。保有台数は約400台、展示車両は300台前後、多くの量産モデルは愛好されてきたユーザーからの寄贈で、また展示車のうち7割が自走可能というのも素晴らしい。

 トヨタ博物館は、1900年以前のクルマから自社製品に限らず、170台近くを収集展示し、小、中学生をはじめ多くの子供たちのクルマやモノづくりへの関心を高めるための各種プログラムを用意していることは、大変意義が大きいし、ホンダ、スズキ、マツダなどにもミュージアムがあるが、「日産ヘリテージコレクション」は、それらとは異なる、世界的にみても珍しい規模のコレクションだ。

 ただし事業所内にあることや、消防法などにも起因して、見学できるのはウィークデーで、人数も限られ、事前にインターネットを通じた申し込みが必要で、交通の便利性も良好とはいえないのが残念だ。出来ることなら、みなとみらいの一角にでも、家電などの他業種とも協力してミュージアムを建設し、それぞれの時代における生活シーンの展示や、日産の技術史、モータースポーツ史などのコーナーも設置することが出来れば、クルマ好きは勿論のこと、修学旅行にも適した訪問先となり、小、中学生時代からクルマへの関心を養うことのできる貴重な施設となるのではないか。同時に、急速な拡大が予測される海外からの観光客にとっても価値のある訪問先のひとつとなりそうで、日産ブランドの拡大にとっても意義あるものになると確信する。

 自動車が基幹産業たる日本だが、クルマ文化の定着には多くの障害があり、欧州とのギャップはますます拡大しつつあるように思われる。このままでは20年後、30年後の日本のクルマづくりが大変心配だ。若者は勿論、人々のクルマ離れにも拍車がかかる今こそ、何らかの形で自動車にかかわる人たちが本気になって日本におけるクルマ文化の定着と拡大にむけて努力しなければならないことは自明だ。「国宝級」と言っても過言ではない「日産ヘリテージコレクション」の見学を一つの契機に、会員の皆様とともに、旧車の税金を増税するなどという許し難い政策や、どうすればモータースポーツをもっと活性化できるかなど、いろいろな視点から議論をしてゆきたい。

 

クルマが見られればそれでいい。会場の整備は二の次

神谷 龍彦

 最初の日産(当時はダットサン)車は1932年につくられた。11型フェートンという。日産のヘリテージコレクションに展示されているのは、その翌年に製造された12型フェートンである。広い展示場のクルマの列はここから始まる。第一列は、基本的に古い順にいわゆるクラシックカーが並ぶ。その外見から古いことは理解できるが、個人的には現実味が少々薄い。いわゆるジェネレーションギャップってやつだ。
 ぼくの記憶や現実と重なるのはこの列の中ほど、スカイライン・スポーツあたりからだ。いま見てもやっぱりスタイリッシュである。そう言えば祖父がいかにも自慢げに310型のブルーバードに乗っていた(ここではスカイライン・スポーツのほぼ対面に並ぶ)。後では、もっと誇らしげにベンツにしたけど……。しばらくたって、今度はオヤジがセドリックを買った。あの頃は、クルマって今では考えられないほど贅沢品だった。学生時代にぼくは510型のブルーバードSSSを買ってもらった。我が家は日産党だったのである。もちろん、トヨタ党でもホンダ党でも、あるいはそういうことには一切関係なくてもいい。うちがたまたま日産だっただけのことだ。
 いまでこそトヨタと日産の差は大きく開いてしまったが、1960年代までは両社のシェアは拮抗していた。ともに30%台になったこともある。心密かに日産がトヨタに勝つ日を期待しもした。「販売のトヨタ、技術の日産」と言われたのもこの頃だ。で、ぼくは技術の方に引かれた。ハイブリッド車や燃料電池車などを見ると、最近では技術もトヨタかなという気がしないでもない。いずれにしても、輸出は当時まだ大した問題ではなかった。
 いつの頃からか「昔のクルマは個性的だった」と言われようになった。考えてみれば当たり前だ。90年代くらいまでは日本のクルマも挑戦、挑戦だったのである。排ガスの問題で一時的に足踏みをしたことはあったが、競争、競争で発展した。パブリカやカローラ、そしてサニーとの排気量争いはその過程で大きな話題を呼んだ。どのクルマもスタイルはとっても大胆に変化した。何故なら正解はなかったから。そうした戦場で生まれるモノは否応なく個性的にならざるをえない。そしてほぼ例外なくNEXT ONEの方が優れていた。だから、人々は新車に大きな興味を抱いた。ここはその“個性”があふれている。
 2列目、3列目に入ると多くのユーザーに馴染みのモデルが増える。フェアレディZ432などは当時の憧れのスポーツカーだった。エンジンをかけるのにちょっとコツが必要だった。こういうのが一種の愛着につながる人もいる。そうこうするうちに、展示車は見覚えのあるクルマばかりのゾーンに入る。その奥に並ぶのが、ラリー車やレーシングカーだ。
 1970年代から80年代にかけてのサファリ・ラリーにおける日産車の活躍は目にモノを見張らせた。優勝車のブルーバード1600SSS、フェアレディ240Z、バイオレットらが過酷な戦いの傷跡を誇らしげに見せる。その向かい側にはレーシングカーたちが居並ぶ。日本グランプリのR380シリーズ、ル・マン入賞マシン、グループCカー、スポーツプロトタイプカー等など。壮観である。
 こういう過去の日産車を眺めて、ぼくのように青春を思い出すのもいい、ひたすら感慨にふけるのもいい、元気をもらうのもいいだろう。楽しみ方は人それぞれでいい。ただ、もっと身近に見られるようになればいいと思う。確かにトヨタ博物館はよくできている。トヨタ車に限らず世界の名車も見られる。立派だ。
 しかし、クルマ好きにとっては会場の状況は二の次だ。ともかく興味あるクルマがまとめて見られること。ついでに言うと、ここではほとんどのモデルのドアを開けることができた。許可されるかどうかは不明だが……。
 アメリカのフォード博物館やヨーロッパのいくつかの自動車博物館は倉庫のような所にクルマを並べてある。不満か? 不満じゃない。要するにクルマが見られればいいのだから。消防法などの規制はあるだろうが、場所も含めてそのあたり検討していただけるとうれしい。

まずはズラーッとクラシックカーがお迎えする。スカイライン・スポーツはこの列の中間ほど。

サファリラリーの優勝車など、国際ラリーで活躍した歴代のラリーカー。熱い時代だった。

レースでも昔から主役だった。日本GP出場マシンからル・マン3位入賞車まで一堂に会する。

1933年製のダットサンフェートン。最初の写真の反対側の列に。748cc、12ps、車重500kg。

スカイライン・スポーツ。生産台数約60台。メーターは6連式。内外ともにカッコ良し。

超ロングノーズのZGともに注目を集めたZ432。GT-Rと同じエンジンを搭載していた。


最終更新日:2015/10/01

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