メーカー・コンフィデンシャル マツダ1 <シート編>
日本車と欧州車のシートと足の違い

 一昨年のもてぎでの選考会だったと記憶するが、アテンザの開発者のひとりがアウディA3を褒めた私に「アテンザとそんなに違いますか?」と疑問を呈したのには、正直なところ戸惑った。入魂の造りを込めたクルマを次々と送り出し、ブランド・イメージの確立に邁進するマツダにしても「大した自信だなぁ」と思ったものだ。

  私事になるが、プジョー205 AUTOMATICというクルマに14年間乗っていたことがある。いかにもフランス車らしいふかふかしたソファータイプのシート、乗り心地を重視したストロークの長いサスペンション‥見事に身体に馴染んで、まさに「人馬(車)一体」といった状態だった。

 驚いたのはシートの優秀さだ。沈むべきところは沈み、反発するべきところは反発して身体をほぼ完璧に受け止めるのだった。このようなシートを体験するとランバー・サポートなど無用の長物であることがよく分かった。

 サスペンションも、ただ柔らかいのではなかった。柔にして剛といった趣でふだんの乗り心地の良さを強く印象付けながらも踏ん張るべきところは踏ん張り、鋭いイメージはないものの走る安定感の高さと、操縦の安心感には好感が持てた。まさに「フランス車」的な味わいなのだが、よく考えてみるとこれらの感覚は欧州の人々が培って来たソファーや馬車の歴史に裏付けられたものではないか?

 座り心地が良く身体にフィットするソファー、快適で長時間乗っていても疲れないサスペンションを備えた馬車(キャリアッジ)。基本性能が高いものとは何か‥長い歴史のなかで欧州人のDNAのなかに刷り込まれたものがあるようだ。

 マツダの開発担当の役員の方にこの疑問をぶつけてみた。やはり、こうした感覚が存在していて日本人には、欧州人と完全に同じように解決出来ないことは「理解している」という。同じフィールドでモノ作りをしても、最後をまとめ上げる感性がどうしても違うということなのだろう。

 それが、例えばプジョーやシトロエンらしさ、メルセデスやアウディ、BMW、アルファロメオやフィアットらしさに繋がって行くのではないか。アテンザはあくまでも「日本のマツダのクルマ」であって、欧州車のホンモノの血脈は流せないのだ。

数字の計測値だけがすべてではない、感性でまとめあげる工業製品であるクルマはなんと官能的な存在なのだろう。その底が知れない奥行きの深さは、ほんとうに嘆息するしかない世界だということを改めて思い知らされる。

 しかし、悲観することはない。欧州車にはない「日本のマツダ的」なものが欧州そして世界中で理解される素地は十二分にあるし、すでに広がっている。そうした日本的なスタンダードの魅力をさらに積極的に訴えかけて欲しいと思うのは、私だけではないだろう。

太田雅之

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